城址めぐりコース

この地区は古代から東西南北の交通の要衝として発展し、周辺には多くの出城がありました。歩いて古代のロマンを感じて下さい。

雲雀城

雲雀城は1443年(嘉吉3年)に小早川氏の一族・藤原時実により、御調(みつぎ)の町並みを見下ろす雲雀山頂上(標高227m)に築城されました。 その後幾度か当主を替え、1493年(明応2年)にこの地一帯を勢力に持つ三吉氏の家臣・池上丹羽守が入城、そののち池上一族が支配しました。 現在は頂上付近に本丸、二の丸、堀切、曲輪、井戸などの跡が残っています

牛の皮城

三吉氏の家臣の一人、森光(守光)氏の居城とされている。所在地は雲雀城の麓を流れる御調川を北東方向へ約2.5キロほど下った同町大町というところにある。  築城期などは不明だが、おそらく雲雀城と同じく、三吉氏の家臣森光氏が当地に入った15世紀末頃と推察される
牛の皮城へは北側の墓地より登城。少し藪状態ではあるが北側の郭群までの道は確保されてある。北側の郭群は高規格道路の建設により半壊状態。最高 所の郭部分まで工事区域となっており芝生が斜面に植えられてある。そこから南側の本丸がある郭群までは、同じく少し藪状態の道がつながっている。その道は南郭群の東側を通っており竪堀あたりから、本丸を目指して直登した。本丸跡は放置山城状態であるが歩きにくい事はない。また、この南郭群は工事区域とは離れ完存状態。その本丸から北側に一段、西側に四段の階段状の郭がある。城域の規模的には、近くの雲雀城より大きく感じた。城主は三吉氏家臣である森光氏と伝えられるが、毛利氏が芸備を掌握後は林氏が城主となったとされる。

本村城址

未定

岩根城址

未定